こんにちは。カズパパ@下町(@GuyTangerine)です。
さっそく「ジョハリの窓」なんて難しいワードのタイトルですいません…。要は、他者はあなたのごく一部で勝手に評価したり、こんな人間って決めつけるので勝手にさせておけ!っていうことです。
他者の評価を気にしても良いことナシ
他者とは勝手なもので、あなたのごく一部の言動で全人格を決めつけてしまうものです。
100人の人がいれば、あなたの評価は100通りもあるのです。そんな勝手な他者の評価に振り回されるのは疲れてしまいますよね…。マジメな人や頑張り屋さんのタイプな人たちは、その性格ゆえ、他者の評価に振り回されて疲れてしまうことが多いのです。
鉢植えの紫陽花や朝顔を思い浮かべてみましょう。これが「あなた」だと仮定します。他者には、どのように受見ているのでしょうか。ちょっと考えてみましょう。
複数の花を咲かせたキレイな鉢植えの紫陽花、朝顔です。
他者って、あなたの全体像を見ていると思いますか?
こたえは簡単。まったく全体像なんて見えてません。
こんな風に見えてます。もっと言うと、こんな風に一部しか見えていません。
Aさん:大きく咲いているお花が華やかだな
Bさん:まだまだつぼみの状態だな
Cさん:小さな花だけどキレイだな
Dさん:葉っぱが緑でもう初夏だな
Eさん:鉢植えが少し小さいな
Fさん:雨が少なくて土が干からびているな
Gさん:あ、虫がとまっているな
などです。花を見ている人もいれば、葉っぱを見ている人もいる。ある人は大きな花だなって評価するけど、他の人は鉢植えが小さいなって評価します。というか、花は眼中に無く虫を見ている人もいます。
全体像なんて見えていなくて、ごく一部の箇所で判断しているんですよね。
不思議ですね。
勝手ですね。
もしかしたら、あなた自身も自分の全体像が見えていないのかもしれません。いくら頑張って周りの人から高い評価を受けようとして考え、行動しても、結局、他者はごく一部のところしか見えません。
すべての人に良いところを見てもらって、良く思われようなんて、とてもナンセンスだと思いませんか?!
ワタシはどのように見られているのか?
もっと分かりやすいように、実際にワタシがどのように見られていたかご紹介しますね。精神疾患で休職して、リワークという復職訓練の中でのプログラムです。
相手をどのように見ているか、どのように評価しているか、これを実際にメモに書いてもらうプログラムです。そこそこ会話をしている人や、まったく会話をしてない人などの混成グループを作ってワタシの評価を他者に書いてもらうのです。
では、実際のワタシの評価を見てみましょう!
・明るくて外交的な人
・好奇心が旺盛な感じがする
・1人の空間が好きなんて意外
・他人の領域に入ってしまいそう
・自分を使い分けて疲れてしまいそう
・気遣いが上手だけど、それで疲れてしまいそう
・ナイーブ(神経質)な印象
・性格で裏表が無さそう
なかなか良い評価ですね~。(もちろん、研修なので、そこまで悪いことは書かないでしょうが…)でも、ちょっと待って!「自分を使い分けてそう」と「性格で裏表が無さそう」って真逆な印象ではないですかっ?!
ちょっとしたプログラムでもこんな感じです(笑)勝手なもんです。
あとは「○○だけど、疲れてしまいそう」という印象もチラホラ。
それもそのはず、当時のワタシは他者の評価軸に依存していたので、周りの評価が良くなるように振る舞っていたのです。それになんとなく気づいた人は「疲れてしまいそう」っていう印象だったのです。
実際のわたしは根暗でお布団の中が1番大好きです。1人空間が1番!陰キャでオタク気質。1人で鉄旅とか、ガンプラとか、ブログやってるくらいだし(笑)
プレゼンや社交的に振る舞うことは訓練してきたから出来るけど、とても疲れちゃうんですよね…。ワタシは他者評価を意識し過ぎていたからこそ、良い印象がそこそこ挙がったのかなって思いました。
他人の評価に依存するのは疲れるだけ!
このように、他者はワタシの色々な個所のごく一面しか見えていないのです。たぶん、職場の人や友人も、そして家族ですら同様だと思います。
なので、他者の評価に依存して振る舞っていてはいつまでたっても理想の自分に近づけません。そもそも、理想の自分像なんてものが他人評価に依存している証拠です。
まずは、自分を理解して、自然体で生きていくのが良いと感じました。もちろん、それが出来ていれば苦労は無いのですが…。無理して良い自分にならないことが大切です。あるがままでいいのです。
時には頑張ったり、自分を取り繕うこともあるでしょう。でも、それはそのとき限りにしましょう。通常モードでは「他者は気にしない」を意識するのです。
他人の評価に依存しない生き方、つまり、自分を理解して自己肯定をして生きていくことが生きやすくなるのです。
「ジョハリの窓」と自分を開示する大切さ
心理学では「ジョハリの窓」という考え方があります。自分がどう自分自身を理解しているか、他人からどのように映っているかをカテゴリに分けた考え方です。自己分析に使ったりするそうです。
1.開放の窓:自分も他人も分かっている公開された自己
2.盲点の窓:自分は気づいていないが他人から見られている自己
3.秘密の窓:自分では分かっているが他人は分からない隠された自己
4.未知の窓:自分も他人も知られていない自己
自分には、自分も他人も知られていない自己すらあります。他者から見られた自己なんてちっぽけなもんなんです。
ちなみに、対人関係では「開放の窓」が適度に広いと円滑になると言われています。
人は何を考えているか分からない人や、どう行動するか見通せない人に不安を抱きやすく、警戒した態度に傾きやすい=心を開きにくいのです。
また、自分を受け入れてくれる人とは付き合いやすいのです。自分を受け入れてもらうには適度な自己開示が必要です。気持ちや感情などの自己開示です。
最近では企業の研修でも「ジョハリの窓」を用いるところも増えてきたようです。ネットで調べてみると実践方法も多くあって、ずいぶんとメジャーになってきたみたいですね。
他者の評価に依存することは極力少なくして、自己肯定感を持って自然体で「すこやかに、ほがらかに」に生きていけるとよいですね。「すこやかに、ほがらかに」は、わたしが生きていく上での大きなテーマでもあります。
では、また。
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